GREATEST TRICK OPERATION IN HISTORY

PART1

「帝国本土空襲」
< Teikoku Hondo Kuushuu >

" Air-Raid Empire Main-Land "


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1942年4月18日、正午{しょうご}。

4ヶ月前の、1941年12月7日(日本時間12月8日)、パールハーバー奇襲攻撃を成功させた日本帝国軍は、東南アジア及び、西太平洋方面で快進撃を続けていた。

その日、日本帝国軍司令本部に、「本土が空襲を受けた」という情報が、はいった。

被害をまとめると、一つ一つの被害は、それほど大きなものではなかったが、広範囲に被害を受けていた。


@被害地域 (名称は現在の呼称)...
東京都。神奈川県川崎市。神奈川県横浜市。神奈川県横須賀市。愛知県名古屋市。三重県四日市市。兵庫県神戸市。

A被害状況(7都市合計) ...
死者:45人。重傷者:53人。建物全焼:160棟{むね}。建物半焼:129棟。建物全壊:21棟。建物半壊:21棟。


なぜ、帝都(=皇居所在都市)を狙っていながら、皇居を狙わなかったのかは、素人{しろうと}には、疑問であろうが、それは『騎士道』とか『武士道』から来る理由であろう。

この空襲で、首都の早稲田大学も被害を受けた。『神の化身が統治する国の本土が空襲を受けた』という事で、日本帝国の国民は、心理的に動揺した。

日本帝国軍司令部の幹部たちは、4ヶ月前のパールハーバーを思い出していた。あの時は、航空母艦6隻の艦載機350機で、アメリカ合衆国軍の戦艦4隻を撃沈し、戦艦及び巡洋艦、数隻を大破させた。あれに比べたら、たいした被害では無い。

司令本部の幹部が言った。

「しかし、一体、どのような航空機なのだろうか?まったく分らない。」

「防衛に当たった航空隊や対空砲の部隊などの目撃情報を総合すると、敵機の数は、1ヶ所辺り、20機前後だったそうだ。機体は、双発{そうはつ}【=エンジンが左右に1個ずつ】の爆撃機らしい。」

「飛行経路は、東の方向から進入し、西の方向へ離脱したとの事だ。従って、中国から飛んできたのではない。太平洋から飛んできた事になる。」

実は、空襲を受ける6時間前、日本列島の東方700海里{かいり}(1.852kmX700=1296km≒1300km)の地点で、日本帝国軍の小型監視艇が、「敵艦隊発見」の電報を打ってきていた。その内容は、

「0630、敵飛行機三機発見。進路南西。北緯36度、東経152度10分。」

「0650。敵航空母艦三隻発見。」【実際は2隻だけ。】

このような電報を30分の間に6通、送信した直後、電報は途絶{とだ}えた。その戦闘機に撃沈されたらしい。

日本帝国軍は、すぐに反撃態勢を整えたが、監視艇に発見された合衆国軍機動部隊は、監視艇を数隻撃沈または大破させたあと、諦{あきら}めて、Uターンしたのだった。目的は不明だが、監視艇の犠牲は、無駄にはならなかった。

ところが、同じ日に、本土が空襲されたのである。

「1か所につき、20機前後で、7都市が襲われた、という事は、全体で100機以上の航空機集団だと言う事になる。」

これは、まったく、不可解だった。一体、どこから飛んできたのか・・・・・?

幹部の誰かは、こう、推理した。

「双発爆撃機が、爆弾を積んだ状態で、航空母艦から発進する事は、絶対に、不可能だ。しかも、他にも艦隊援護任務の戦闘機も積んだ状態で、3隻で100機以上、つまり、1隻当たり34機以上も積載できるほどの超大型空母は、地球上のどこの軍隊にも、存在しない。」

「では、いったい、なんなんだ?」

「考えられるのは、日本帝国軍も持っている、大型飛行艇だ。飛行艇に爆弾を搭載して、投下するならば、これくらいの空襲は可能だ。とにかく、アメリカの新型爆撃機に間違いない。」

「もう一つ考えられるのは、航続距離が5000キロメートルを超えるような、超長距離爆撃機だ。実際、日本軍の『一式{いっしき}陸上攻撃機』も、双発爆撃機だが、爆弾を積載した状態で、2200キロメートル以上飛べる。」

「従って、最も可能性の高いのは、ハワイ諸島を拠点として、ミッドウェー島を中継し、アリューシャン列島に新型爆撃機を移動させて、そこから発進した・・・・・というやり方だ。」

日本帝国軍は、「アメリカ合衆国が、超長距離の新型双発爆撃機、あるいは、新型双発飛行艇を開発した」と、推理するしかなかった。実際、この半年後の、1942年9月、あの、『ボーイングB29スーパーフォートレス [Boeing B-29 Superfortress]』(四発爆撃機で爆弾搭載時航続距離6000km以上)の試作機が、初飛行に成功する事になるのである。

日本帝国軍・連合艦隊司令長官:山本五十六{やまもと・いそろく}は、この2ヶ月後の、1942年6月、アリューシャン列島の西の外{はず}れにある、『アッツ島』と『キスカ島』を、機動部隊の主力空母2隻の護衛によって占領し、同時に、『ミッドウェー島』も、機動部隊の主力空母4隻の護衛によって占領する作戦を発動するのである。

しかし、その戦いで、アメリカ合衆国軍は、ミッドウェー付近で機動部隊の主力空母3隻が待ち伏せをし、日本帝国軍の主力空母4隻を撃沈する事になる。(合衆国軍も主力空母1隻が沈没。)

この『帝国本土空襲』が無ければ、『ミッドウェーの奇跡の勝利』も、無かったのである。



----- PART2へ続く -----








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